私、うつ病になりました…①
こんにちは、ミントです。
今回は私がうつ病になったお話をしたいと思います。
実は現在、双極性障害と診断され、内服治療を8年続けています。
看護師という職業は精神疾患罹患率が高いと言われています。
確かに、人間の生死や患者さんの感情に関わる仕事が多くを占めます。
看護とは感情労働だと言われる程、自分の心を疲労させていきます。
そんな看護の仕事をする中で、私がうつ病になった過程を紹介したいと思います。
環境の変化
私は公立病院の急性期病棟とOP室を経験し、学生時代からボランティアを行っていた特養看護師に憧れ、ケアマネ取得後に退職し、憧れの特養に就職しました。
勤務初日にケアワーカーさんに言われた一言があります。
「なんでうちみたいな所に来たんですか?前の病院は地方公務員だから給料全然違うでしょ?」と。
私は「学生時代からここに勤めたかったんです」と答えました。が、何となく゛私には向いてないのかな?”と感じました。
また、業務も病院とはまったく違っていました。
ある程度の違いは学生時代にボランティアをしていたのと、ケアマネ取得の勉強で分かっているつもりでした。
しかし、勤めた時は皆要介護度4~5といった介護度の高いお年寄りが多く入居されていました。
確か、ボランティアをしていた時代は介護保険も無く、措置だったため、比較的元気なお年寄りが多かったのです。
そのため、お年寄り・ご家族・医師・相談員・ケアワーカー・栄養士・送迎担当者等々、関わる職種も増え、業務に慣れるまでが大変でした。
異常な程の期待
医務室ではケアマネの資格がある、という事で入居されているお年寄りのケアプランの医務室担当部分を全て任されました。
「若いし、パソコンに慣れてるでしょ?それに、ケアマネも持ってるし」
が理由でした。できますが、お年寄り、ご家族の事は全く分からないまだ勤務1週目。
今までは交代でパソコンに打ち込んでいたのに…( ;∀;)。
ひたすらカルテ、ケア記録を見ながら考えていました。
また、感染や疾患、褥瘡などなど…ケアワーカーさんに勉強会を開いてください、と言われ、休日もケアワーカーさんに分かりやすい内容になるよう資料作りに悪戦苦闘していました。
思いが強すぎて…。
私が特養に勤務しようと決めたのにはもう一つ理由があります。
それは看取り看護を行いたかったからです。
そう思ったのは前病院の胸部外科病棟で勤務していた時でした。
最期は心不全となられる患者さんが多く、全身浮腫・皮膚の脆弱化による全身からの浸出液にオムツのパットを当てている状況でした。
そんな中、お見舞いに来られたご家族の「誰だかわからなくなって…」という言葉が胸に刺さりました。
病院とは出来得る処置は全て行う所です。
私には亡くなられた患者さんのケアを行う際に「お疲れさまでした。やっとゆっくりできますね」という言葉をかける事しかできませんでした。
そんな体験もあり、自然死や看取りについてとても必要な事であり、私がしたい事だと強く思いました。
その思いを特養で実現したい!と強く思っていました。
しかし、実現するには看護師、ケアワーカー、相談員、医師そしてお年寄り・ご家族の信頼が必要です。
その信頼を得るため、私は大好きなお年寄りとお年寄りを大好きなケアワーカー・ご家族・その他の職種と先ずは人間関係を築く努力をしました。
また、信頼関係を築くため、講演会、学会に参加し、知識・技術を習得しました。
そして勉強会を開催する事でスタッフみんなに還元していきました。
こうした努力を1年半ほど続け、いよいよ看取り看護について本格的に進めようとしたある日、急激な胃痛に襲われました。
しかし、その頃は本当に楽しく仕事をしていたので、ストレスは感じていませんでした。
私は゛少し頑張り過ぎたかな?”くらいにしか思っていませんでした。
しかし、この症状が全ての始まりだったのです。
少し長くなるので、今回はこの辺で(o*。_。)oペコッ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました☆彡
この記事を書いた人
- 看護学校卒業後、県立病院胸部外科病棟に就職。3年勤務し育休2年取得。年子で子供2人出産し、OP室復帰する。(その間、ケアマネージャーと福住2級取得)上の子が1年生になるのを機に特養に転職。3年目で交通事故に遭い、躁鬱病になり退職。直ぐに総合病院OP室に勤めるも短期間で退職。以後、脳外科病棟、ICU、皮膚科クリニック、特養立ち上げ、整形外科専門病院、老人病院、透析専門病院と転々とするも躁鬱病もあり長続きせず今は看護師お休み中です。
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