クリニック看護師を3か月で辞めた理由
こんにちは、ミントです。
空にはうろこ雲が広がり、金木犀のいい香りに秋を感じます(*´ω`)。
うろこ雲を見ると思い出す事があります。それは派遣で働いていたクリニックの事。
辞めた日も空にはうろこ雲が広がっていました。
今回は私が勤務したクリニックの内情と辞めた理由をお伝えしたいと思います。
私が派遣ナースとして勤務したクリニックは、わたしの子供たちもお世話になっている地元でも有名なクリニックでした。
院長先生と看護師3人、クラーク3人のごく普通のクリニックで、スタッフは皆笑顔で優しい印象でした。
しかし、内情は全く違っていたのでした。
クリニックでは院長が王様
これは当たり前の事と覚悟しての転職でしたが、それは想像以上のものでした。
診療が終われば別人格になる
そのクリニックに転職する前は公立病院、特養、個人病院を経験していましたが、こんなにも表情や態度の変わる医師には初めて遭遇しました。ニコニコ笑顔は何処へやら…。
診療が終われば今日来られた患者さんの誰かをターゲットにし、引きつった顔で口汚く罵り始めるのです。
患者さんのプライベートな事まで…。一通り言葉を撒き散らすと白衣を診察用ベッドに投げ捨てて一日が終了です。
そして、その白衣を片付けるのは看護師でした。
スタッフ一同でご機嫌取り
とにかく無表情で無口で不機嫌、かと思いきや、医大生の息子の自慢話しや趣味の話になると超多弁に。
すかさずスタッフ一同が盛り上げようとお世辞の嵐…。正直、(何だ、これ?)と思うと同時に(私続けられるかな?)という気持ちが早々に湧き上がってきました。
とにかく否定される
時には在宅の往診も行っているため、介護保険の主治医意見書の内容について意見を求められ、正直に答えるといきなり不機嫌となり、無言になってしまう事もしばしば。
聞かれたからケアマネの立場で答えただけなんですけどね…。良くないものをいいですね!なんて持ち上げられません。
さらに、私と交代で退職する事になっていたベテランナースから、「このままだと先生のお気に入りにはなれないから直ぐに辞めさせられるよ」と忠告され、(私、ここの仕事続けたいのかな?)とまた思ったのでした。
無資格の娘を勤務させる
ある日、受付と診察室の間にカルテを渡すだけの役割の女性が登場。
誰かと思いきや院長の娘だそうで…。無資格なので仕事はカルテを渡すだけ…。そしてもう一つの仕事が私たちスタッフの監視役だそうです。
要するに大学卒業しても就職も決まらず、やりたい事もなく親の病院に毎日行くことが仕事のようでした。(かなり働きにくい環境でした…)。
クリニックの裏のボスは熟練クラーク
さらなる驚きはスタッフを牛耳る熟練クラークの存在でした。
熟練クラークに朝のお茶を入れて待つ。
他のスタッフは朝、彼女の出勤する前に必ずお茶を入れてお出迎え。
彼女はお茶を飲みながら世間話や子供の自慢話を始めます。「息子のスケートにお金がかかるのよ」の言葉に皆、「優秀は息子さんだから素敵よね~」と持ち上げ、その話は業務開始時間まで延々と続くのでした。
お茶の準備を忘れた日は…最悪な一日となるのでした。
みんなコバンザメ状態
また、彼女がエステに行くという話になると他の看護師も「そうね、行こう行こう!」「やっぱり〇〇さんはいつも自分を磨いていて素敵!」と露骨な持ち上げ。
また彼女が「この近くに美味しいお店ができたのよ」と話せば「私も行ってみたい~」とお昼の長い休憩時間にみんなでエステや外食に行くのでした。
(私は行かずに近くの大型ショッピングモール駐車場の車内でお昼を食べ、寝ていました…。)
一番の権力者
勤務が始まれば処置だけの患者さんだと「処置だけだから先生に指示もらって早く終わらせて」とカルテを渡され、混雑し始めると「段取りよくやってよ!」と看護師に要求。
その間、時間があれば他のクラークと大声で世間話や患者さんについての個人的な意見を話している…。
中の看護師は3人で診察の補助、処置、採血etcと必死なんですけど…。小児の採血は3人の看護師が必要なんですけど…。
挙句は土曜日の勤務。昼食は出前をとることに決まっていて、どこのお店になるかは彼女の気分次第。
彼女が食べたいメニューのあるお店に必然的に決まり、他のスタッフもそのお店のメニューから選ぶといった形でした。
子供が小さく自分にお金をかけれない私には苦痛以外の何者でもありませんでした。
辞職を決意
私はこのクリニックに勤めるまで、理不尽な扱いを多々受けてきました。そんな時、意見の合う仲間や上司に相談することはできました。それで心が救われ、頑張れた事も多々ありました。
しかし、クリニックといった小さな世界の中では意見することさえタブーだと分かりました。
複雑な人間関係に自分を合わせて割り切って働けるか?と自分に問うてみましたが、いくら考えても答えはNOでした。
スタッフみんなが誰かのあら探しをし、批判し、院長や熟練クラークのご機嫌取りをしながら働く…。業務だけでクタクタなのにそんな余裕はない、と思いました。
結果、私は派遣期間終了の3か月で辞職しました。
初めてのクリニック勤務は驚きの連続でした。
気が合えば、割り切れれば長期間勤務できるんだろうな~と感じました。
辞職して半年後、そのクリニックで看護師をしていた女性に偶然会いました。彼女の第一声は「あの病院、やっぱり変ですよね?」でした。
よくよく聞けばケアマネの資格のあった私の意見などを聞いて、継続していたケアマネの受験勉強に更に力を入れ、見事合格し、ケアマネとして働いているとの事。
お互い、おかしいおかしいと思いながら働いていたんですね(笑)。私の感覚が正常であることを彼女が教えてくれました。
それは自分が根性がないせいで辞めたんだ、と自分を責めていた私の大きな救いとなりました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました☆彡。
この記事を書いた人
- 看護学校卒業後、県立病院胸部外科病棟に就職。3年勤務し育休2年取得。年子で子供2人出産し、OP室復帰する。(その間、ケアマネージャーと福住2級取得)上の子が1年生になるのを機に特養に転職。3年目で交通事故に遭い、躁鬱病になり退職。直ぐに総合病院OP室に勤めるも短期間で退職。以後、脳外科病棟、ICU、皮膚科クリニック、特養立ち上げ、整形外科専門病院、老人病院、透析専門病院と転々とするも躁鬱病もあり長続きせず今は看護師お休み中です。
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